ごあいさつ

わたくしは高平寺第37世住職の仙田暁人でございます。

最近いただくご相談で目立って増えたのが、お墓の悩みです。

お子様がいらっしゃらない、墓地継承者がいらっしゃらないなど様々なご事情から、自分たちのお墓を持てずにいらっしゃる方々が年々増加しています。

中には遺骨の埋葬先が決められずに困っている方もいらっしゃいます。

と言いますのも、上記のような理由で自分たちのお墓を持てずにいらっしゃる方は、現状ではロッカー式の納骨堂に入るか、永代供養墓にはいるかのどちらかに選択肢が限られています。

しかし「納骨堂には室内の窮屈で寒々しいイメージがあってどうも。それに結局は一時保管であって、安住の地にはならないし・・・」そして「永代供養墓は基本的に合祀でしょ、他の人と一緒に埋められるということにはなんだか抵抗があって・・・」と、どちらも選ぶことができずにご自宅にお遺骨を置いたままにされている方が予想以上に多くいらっしゃることに大変驚かされました。

故人様にとってもご遺族にとっても、安住の地が決まらないということはどれだけ不安で心が落ち着かないことでしょう。これは大変な問題なのだと痛感したのです。

むかしむかし仏教が日本に入ってくる以前、わたしたちのご先祖様の多くは、亡くなったら山へ運ばれました。そして50年ほどたつと神様となり、向かい側の山へ移って木になるという物語がそこにはあったのです。鎮守の森やご神木はそれにあたります。

一方、仏教でも死は四大分離と呼ばれ、体をつくる四つの要素(地水火風)が縁がほどけて分離し、大きな命の流れである空に帰っていくことだと捉えています。ここでいう空とは、自然とおきかえてもよいでしょう。

その両者に共通して流れているのは、宇宙にも人にも他のあらゆるいのちにも自然の中にある同じなにかが宿っているという東洋的な思想です。

こうした考えは良寛和尚の次の句によく表わされています、「形見とて何か残さん春は花夏ほとどきす秋はもみぢ葉」。わたしをかたちづくっているものは自然に溶け広がっていく。そして春の花にも、夏山で鳴くほとどぎすにも、秋に紅を綴るもみじにもわたしは居るよという意味です。

こうした日本人の意識をふまえ、さらにはご遺族にとってお参りするお墓があることの意味の大きさを考慮し、直面するお墓をめぐる問題を解決する一つの方法として、高平寺では美しいみかも山の自然をいかした樹木葬にも取り組んでいこうと考えた次第です。

まだ始まったばかりの樹木葬でございますが、改善すべき点、新たに取り組むべき課題もあるかと思います。それらを、皆様にご意見をいただきながら解決していき、一人でも多くの方に安らぎを感じていただける場所となるよう努めてまいる所存です。

 

高平寺の樹木葬の特徴

① お参りがしやすいよう、また目が行き届くよう、山林に分け入るのではなく、普通の墓地の1画に樹木葬区画をもうける形にしました。

② 一家族に一区画あります。それぞれのご家族に、お好きな花木を植えていただきます。そしてふつうのお墓と同じく、何体でも埋葬できます。

③ 将来、そこが無縁墓となっても他の方にお譲りしたりせず、ずっとお寺がその墓地を護ってゆきます。

④ お参りする方がいなくなった墓地も、私どもが年三回のご供養をいたします。

⑤ ペットも埋葬できます。

⑥ 宗派は問いません。

高平寺は佐野インターから五分の所にあり、都心から車で一時間足らずです。

また、大規模自然公園の「みかも山公園」の隣という自然に恵まれた環境にあります。

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