散骨について
散骨とは、細かく砕いた遺骨を海や山などに撒くという葬法です。
平成13年4月(最初の散骨から10年)で929人分という統計資料がありますが、この数値を多いと見るか、以外に少ないと見るかは別にして、散骨には多くの問題があるのは事実です。
未だマスコミにおいても、「散骨」と「樹木葬」とを混同しているものが見受けられますが、両社は全く違うものです。
散骨の法律的な問題点
埋葬をおこなう場合は、いわゆる墓地埋葬法の規定に従わなければなりません。その法律に基づいて、墓地として許可を受けた場所に焼骨を埋葬するというのが前提です。
ところが、法律的に見た散骨の最大の問題点は、海や山など「墓地として許可を受けた場所以外のところ」に遺骨を撒くという点です。
散骨は違法行為ではないといわれています。その根拠として、遺骨については墓地埋葬法に特に規定されていないからだとされています。しかしそれは、墓地埋葬法が制定された時点では散骨という行為自体が想定外だったために盛り込まれなかったという見方の方が妥当でしょう。
散骨をめぐる地域住民とのトラブルは各地で顕在化しています。
そして、北海道・長沼町の散骨場問題を機に、厚生労働省の対応にも変化が現れ、各地で自治体が条例によって散骨を規制していくという動きがおこっています。
この問題は、個人の自由と公共の利益のバランスをどこにとるかという点に帰結し、近年発見される騒音問題やゴミ屋敷問題などの住民トラブル・社会問題と根を一にするものだと思われます。
お寺という現場から見た散骨の問題点
いま散骨は、遠くの海や人里離れた山へ遺骨を撒いています。今後は宇宙に放つなどということさえ計画されているそうです。しかしそれを多くの人がし始めたらどうなるのでしょう。きっとそれは大変な問題になるのではないでしょうか。
散骨を希望する人々のなかには仏教は本来散骨なのではないか、という意見もあります。たしかに上座部仏教圏にはお墓というものがありません。実際そうした国の人々は、火葬にしたお遺骨を、川や海あるいは山に散骨しているわけです。
しかしそういうことがすっきりとできるためには、そのための思想的背景が伴っていることを忘れてはいけないと思います。彼らは火葬と共に「一切は空へ還る」と思っていますから、燃え残った骨にあまり意味を感じないのです。
しかし日本では違います。日本人が散骨しようという場合、どうしてもそのお遺骨の故人のタマシイが宿ったものとして扱うことになります。
海に撒かれてひたすら拡散してゆくお遺骨を見送った後に残る想い、故人を偲ぶ”よすが”としての墓地を持たないご遺族のお気持ち、それらを考えたとき、今現在の日本人の感性からすればまだ遺骨と葬送・ご供養との間には開きがあるような気がします。
お寺も現場から言いますと、故人が散骨を希望されていたとしても、必ずしもご遺族はそうではないというケースのご相談をお受けすることになります。中には遺言に従って散骨をされたご遺族が、どうしてもお参りのためにと当寺にお墓を建てられた例もございます。残された方のお気持ちを想像するとやはり考え込んでしまう問題です。
散骨と樹木葬の比較
散骨と樹木葬は同じ自然葬だとひとくくりにされることがありますが、全く違うものです。
葬法の種類 | 法的根拠 | お墓の有無 | 墓石の有無 | 遺骨の状態 |
散骨 | 法律の外側で | 無し | 無し | 自然に還る |
樹木葬 | 墓地の許可を受けた場所に埋葬 | 有り | 無し | 自然に還る |
石のお墓 | 墓地の許可を受けた場所に埋葬 | 有り | 有り | 骨壷の中に残る |
樹木葬は、石塔を建てないという意味で遺骨を自然に還すという意味では自然葬と呼ばれる葬法に入るかと思われます。しかし、お墓参りする場所としてのお墓がある、そして墓地の許可を受けた場所に埋葬するという点からみても散骨とは異なり、ふつうの石のお墓が変化したものです。